蔵をアトリエに制作をする アーティスト川埜龍三
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初めてのハバナ

23歳当時の僕は造形家として生活する怖いもの無しの極貧。
「キューバに作品を持って行かないか?」と誘われた時、簡単にOKした。
1日100円で3ヶ月ぐらい平気で生活してた頃、その日暮らしの僕に貯金んなんてものもなく、なのに30万以上の旅費+運搬費+滞在費はどうするんだ・・・とか深く考えなかった。しばらくして倉敷の個展で作品が売れた!!といえ借金を返せば旅費だけが残る程度だった。
送れば済むのだが、反応を見たいから設置は自分が行くという方針をここで変えるわけにはいかなかったのだ。
そこで僕はメフィストフェレス(高知)の立体壁画の原画にとりかかった。
描き上げたら着手金がもらえるからだ。
今だから言えるけど、そうして頂いた着手金を運搬費と滞在費に回してしまったのでした。
この頃の僕は社会生活の常識、知識が欠落していたから、世界地図もほとんど見たことなくキューバといえばCDで音楽を聴いていた程度で国がどこにあるのかも知らないまま、画材を入れたリュックひとつ背負ってツアーの人たちに付いて行った。
そしたら、ハバナに着いた。

高知も空が青くて素敵なとこだったけど、ここはひときわ空が青かった。

街には展示やイベントを観る人たちであふれ、プロ野球選手にねだるように小さい子供たちがアーティストにサインをもらう姿があった。
作家は絵や彫刻に限界がないことを黙して知っているし、それぞれが描かなければならない絵をたくさん知っていた。
決して陽気ではない作品は、さぞストイックに制作現場にこもるのだろうと思えばしゃべる事が好きなようで元気で明るい。
尊敬できる作家や作品にたくさん出会えた。
これは面白いところに着たぞと思い、僕は滞在期間ほとんど寝ずに出歩くことに決めた。
写真左↓ 「白い夜の汽車(2000)」

高知の美術館やギャラリーの推薦で岡山で生活を始めていた僕にも特別に声をかけてくれたのだ。
EMSで送ったものの作品は破損していた。造り足そうと思っていたからちょうどイイやと制作。
ツアーで来ていた人や現地の関係者も手伝ってくれて無事設置した。
当時は僕の作品集など無かったから手作りの作品集も並べて置いた。
毎日、「土佐和紙展」を観に数えられないくらい人が訪れる。
忘れられないのは多くの人が僕の作品の前で短い投げキッスのような動作をすること。
どうやら気にいってくれたようだということが分かる。
もともとツアーに便乗する形で来たため観光も含まれてるんだけど、僕はいつも1日中ギャラリーで反応を観察するか近所のギャラリーに行ってた。
夜になると、出会った人や現地の作家と昼間のうちに約束しといて遊びに行った。
ライブハウスに行ったり、夜の街をひとりで朝までフラフラしていた。
そしていつものように良く食べた。
日本での僕の生活では考えられないのは、毎晩のようにディスコ生活したこと。
言葉なんてはじめから通じない様々な国の人と輪になって踊った。
朝4時前になるとホテルに帰り、同室の方のタオルケットをかけ直してからわずかの睡眠をとった。
帰国前には、もう少し滞在したいからと誰かれと無く「金借して~」と回った記憶がある・・・
ちなみに「白い夜の汽車」を持って帰るだけのお金は無く、今も現地のどこかにあるはず。
今度、探してみよう。
ここで知り、感じたことを僕なりに自分の形で今まで試したことがいくつかある。
○ビエンナーレ中に展示を歩き回ってたら、僕と同年代の作家達が自分のカタログ、作品集を持っていた事。
・・・僕も作品集を作りたいと思った。(アート印刷さんのおかげで05年実現)
○キューバの優れたアーティスト達は国から支給され自分のギャラリーを持っていた。
・・・僕もギャラリーを持ちたいと思った。(倉敷ジーンズさんのおかげで08年実現)
○いつか僕も正式にハバナビエンナーレに登場してみたいと思った。
・・・11月から山あり谷ありの不休が半年は続くけど、充足感と緊張感で生きてる感じがする。
今日も深夜にトラブル。2人で今が正念場と言い続けて早7年。
目標通りに僕達は今3月末、第10回ハバナビエンナーレに登場します。
2000年以後、約9年近くの間に目標を失わず造り続けられたことに対する
多くの人たちと縁への僕達なりの感謝の形。

(30人弱だったかな)みんな元気かな。
右写真は、当時添乗員だったセイカさんとのツーショット。
これが初めてのハバナのあらまし。
帰国後、メフィスト壁画のため友人達を集めておいて
着手金を本と食事に使い切ってしまった僕は冬の蔵④号に住み
17時間の労働と再び過酷な極貧生活に戻ったのでした・・・・・
by ryuzo3net
| 2009-02-17 04:46
| ビエンナーレ大作戦(09)